エッセイ

2015年05月09日

お好み焼きで育って(「しんぶん赤旗」5月9日くらし・家庭欄「母の日特集」)

野球帽 広島には、10人も座れば満席になるような、小さなお好み焼き屋さんがあちこちありまして、私の母もそんな「お好み焼き屋のおばちゃん」の一人でした。

 忙しい日の夜ごはんはいつも決まってお好み焼き。母一人でやっているものですから、よく「キャベツとそば、買ってきて!」と近所のスーパーに走らされました。

 まだ幼稚園児だった頃、母が恋しくて店をのぞくと、「お客さんがおるんじゃけ、あんたが来たら仕事にならん。あとにしんさい!」と怒られたことなど、つらいことも多々ありますが、いま振り返れば、貧しいわが家で、食べ盛りの私や兄を育てるため、お客さんが減らないようにと、母は毎日必死で働いていたんだろうなと思います。

 37年間の人生の中で一度だけ母にほっぺたをたたかれたことがありました。小学校の頃、近所のお友だちにお菓子をおごってもらったことを隠して、嘘をついていたことが知られたときでした。「そんな子に育てた覚えはない!」と思いっきり怒られ、泣きながら友だちの家にいって謝りました。本当に情けない気持ちになり、「もう嘘はつかないようにしよう」と思ったものでした。

 そんな母も今年66歳。今は「生活と健康を守る会」の活動に精を出しています。

 50歳、60歳と節目の年を迎えるたびに、「人生は○○歳からよ!」とますます意気込む姿に、安心と心配をしつつ、あらためて親孝行をせねばと思っているところです。