エッセイ

2016年08月10日

71年目の原爆の日ー核兵器廃絶の思いあらたに(2016年8月10日付「しんぶん赤旗」西日本版・水曜随想)

 原爆投下から71年目の8月6日、9日をむかえました。今年も、セミの鳴き声が響きわたる、暑い暑い広島の夏空のもと、被爆者のみなさんの体験もお聞かせいただきながら、あの日の惨劇と犠牲者の71年にわたる苦しみや悲しみの日々にあらためて思いをはせました。

 今年5月、アメリカの現職大統領として初めてとなるオバマ大統領の広島訪問がありました。それは他でもない、各国為政者は被爆地を訪問し被爆の実相に直接ふれてほしいと長年、被爆者と広島市民が求め続けてきたその声におされて実現したものでした。もとより、被爆者の願いは為政者の被爆地訪問だけにとどまりません。今年、「被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」がよびかけられ、そのなかで「平均年齢80歳を超えた被爆者は、後世の人びとが生き地獄を体験しないように、生きている間に何としても核兵器のない世界を実現したいと切望しています」とうったえています。「私が生きている間に、この目標を実現することはできないかもしれない」と述べるオバマ大統領のような姿勢を大きく変えていくのもまた、広範な市民の世論と運動に他なりません。

 私自身、オバマ大統領訪問の日におこなわれた原爆記念碑への献花式典に、広島出身の国会議員として招かれ、日本共産党からは唯一の参列者として、その歴史的場面に立ち会い、しっかりと目に焼きつけました。2020年までに数億人から「ヒバクシャ国際署名」を集め、核保有国と日本を含めそれに追随する各国政府を包囲し、核兵器のない世界を実現していく――「ヒロシマ」をかかえる中国地方から送り出していただいた国会議員の責務として、その先頭にたつ決意をあらためて胸に刻みました。