エッセイ

2017年02月27日

「サフラジェット」の意思に学ぶ(民報2017年2月)

 国会活動の合間をぬって、映画『未来を花束にして』を観に行きました。1912年のロンドンが舞台で、「女性たちに参政権を」と求めてたたかう“サフラジェット”(女性参政権活動家を指す言葉として当時のマスコミが書いたもの)たちの苦闘を描いた作品です。

 今では当たり前の女性の参政権が、人間としての当然の平等の権利が、ほんの100年前まで(日本ではもっと最近まで)、「感情の起伏が激しい女性は政治判断するのに向いていない」などと言われながら奪われ続けていた、その屈辱をリアルに追体験しました。「将来生まれる少女たちが、兄や弟と同じ機会を持てる時代のために闘うのです」とのリーダーのうったえや、やむにやまれぬ思いでたたかいに立ち上がるが幾多の困難にぶつかりつらく苦しい日々が続くようすに、何度も涙がこぼれ落ちました。そしてあらためて、いま自分は彼女たちが命がけで勝ち取った権利の獲得にこたえる活動ができているだろうかとつきつけられた思いもしました。

 私も所属する憲法審査会が3月からいよいよ始まるかと報道されています。私たちは国民は改憲を求めておらず、改憲のための憲法審査会は開く必要なしとの立場でのぞんでいますが、それでも開かれるのであれば出席をして、現行憲法の価値や、変えるべきは憲法ではなく、憲法違反を続ける政治だという論戦を堂々とおこないます。自民党が提案する最初の議題テーマは「参政権」とも言われています。“サフラジェット”の意思に学び、個人の尊厳をふみにじる政治は絶対に許さないという気概でたたかいぬかねば。