エッセイ

2020年02月12日

被爆75年―特別対談(館兵器禁止条約に署名・批准する政府を)

大平・小林対談2大平 2020年の今年は被爆75年の節目の年。今年は核兵器禁止条約が成立して初めてのNPT再検討会議、そしてそれにあわせてニューヨークで原水爆禁止世界大会もおこなわれます。「あの惨劇を二度と世界のどこにも繰り返させてはならない」という被爆者の願いになんとしてもこたえる年にしなければなりません。さっそくですが、75年前の8月6日のことをお話し願えませんか。 

小学校一年生で被爆 弟の勲と逃げ回る

小林 そうですね。小学一年生の7歳で、今の広島市南区の段原に住んでいました。その日は家で母と私、5歳になる弟の勲がいました。8時15分、突然「ピカッ」と光ったと思ったら次の瞬間に「ドーン、ガシャガシャガシャー」と家のガラスがみんな割れて、すぐに母が私と弟の上にかぶさって守ってくれました。でも気づいたら割れたガラスが母の体中に突き刺さり、その血で私の服が真っ赤に染まっていたの。母が「はよう勲を連れて逃げんさい。はよう逃げんさい」と言うので私が「お母ちゃんも一緒に行こう」と言うと、「お母ちゃんはここにいないとお兄ちゃんやお姉ちゃんが帰ってきたら迷うてしまう」「どこにいたってお母ちゃんはあんたらを探すんじゃけー、はよう逃げんさい」と言うてね。

 勲の手を握って向洋、海田、呉の方かなあ、とにかく皆が逃げる方向へ走った。まわりで歩いている人たちは服も皮膚もドロドロ、もう生きているのか死んでいるのかもわからん。「助けてー」「水をー」というのがどこからともなく聞こえてくるの。ひたすら歩いたり、走ったり、弟をおぶったりしながら、まわりも薄暗くなり橋のところにどっと座って。そしたら見ず知らずのおじさんがおにぎりをくれて、それを食べたところで眠ってしまったのか記憶がなくなったの。

 翌日か翌々日か、母と兄と再開し、まだ帰ってきていない姉を探し回りました。姉は体育館のような所で大火傷で横たわっていました。ある日、母が姉の傍でと再会し、姉のそばで泣いていた。それで、「あー、お姉ちゃんが亡くなったんだ」って思った。その後はほとんど記憶にないのね。

大平 本当につらかったですね。貴重なお話をありがとうございます。昨年は映画『ひろしま』がテレビで放送されたり、基町高校という学校の生徒が被爆者から話を聞き当時の情景を描いた「原爆の絵」が大きく注目をされ、また原爆資料館のリニューアルもありました。私たちは様々な形で被爆の実相を語り継ぎ、その非人道性を世界にうったえ、核兵器廃絶の力にしていかなければと思います。

 ところで弟の勲さんというのは、プロ野球の張本勲さんのことですよね。僕も小学校から高校までずっと野球をやってまして、張本選手の印象はまさに「伝説の人」、超人級の大打者というイメージでしたよ。

小林 勲はね、努力の人なんですよ。実は去年ぐらいから言い出したんですが、彼は右手の指がないんです。

大平 えー!

小林 4歳の時にとんどの火の中に押されて手を突っ込んで火傷したの。昔はいい病院がなかったからね、治せなかったのね。ただそれを選手にも監督にも誰にもわからないように隠し通して、野球人生をまっとうしたのは本当にすごい努力と信念だったと思う。巨人の川上監督に引退のときにこのことを言うと「お前はこんな手で野球をしてたんか」と言ってボロボロ泣いてくれたそうよ。

 弟とは「神戸や大阪に来るときはご飯でも食べよう」って楽しい話をするんだけど、ある日、電話で話していた時に何を思ったのか「勲、お姉ちゃんはこれからの子どもたちが笑顔で平和で暮らせるためにね、核兵器廃絶署名を集めてるんよ」ってなぜか言ったのよ。そうしたら勲が「お姉ちゃん、すごい! アッパレだ!」と誉めてくれたんですよ。うれしかったわー。

大平 出た! アッパレ!(笑) 小林さん、その署名活動、ものすごくがんばっているそうですね。

署名と世論が力を発揮  被爆者が世界を動かす大平・小林対談6

小林 兵庫県の被団協の総会には少し前から参加させてもらうようになっていて、一昨年の5月、署名用紙を1枚もらってコンビニでコピーして、翌日から集め始めたの。署名用紙を持ってどこにでも行って、公園のお母さんたちや全然知らない会社にも訪ねて「仕事中にすみません!」って言って、「これからの子どもたちのために核兵器廃絶をねがってがんばっています!」と話して署名してもらっているの。数えたら3071筆あった。弟の通算安打記録の3085本まであとわずか(笑)もちろんさらに集めますよ。

大平 すごい! 小林さんのようながんばりが各地で広がって、この署名は全国で1050万筆を越えました。今年春のNPT再検討会議にむけて日本の市民社会の代表団がこの署名が持っていきます。僕もその代表団の一員として参加します。

 小林さんのお話を聞き、あらためて2年半前におこなわれた核兵器禁止条約を採択した国連会議に参加したときのことを思い出しました。この会議でも被爆者の方がその体験と思いを話されたんですが、各国の政府代表がそのうったえに真剣に耳を傾け、真摯に受けとめる。そして胸に手を当てながら口々に被爆者への感謝と敬意を述べながら「私たちはなんとしても核兵器禁止条約をつくらなければならない」と語っていました。

 その決意は条約の中身にも反映され、HIBAKUSYA(ヒバクシャ)という言葉が条約の前文に2カ所入っているんです。非人道的な被害をもたらすことを忘れてはならないという趣旨ともう一つは被爆者をはじめとした市民社会の役割が重要だと述べた点です。本当に被爆者の存在そのもの、そしてそのうったえが世界を動かしているんだと感動しました。

小林 へー! すごい話ね。私一人の署名活動と世界がつながっているのね。

大平 そうなんです。それからもう一つ感動したことがありました。この会議は、議長を務めたエレン・ホワイトさんという方がコスタリカの外交官でして、そういう小さな国々の人たちが会議を仕切り、堂々と意見を述べている。逆にアメリカやイギリスなどの核大国は会議に参加せず外のロビーで、「核兵器禁止条約なんて賛成しないよ」って記者会見を細々とやっているんです。この姿がおかしかったですね。もう大国が大きな顔をして世の中を動かすような時代ではないんだな、すべての国が対等な立場で大いに意見を述べあい、そして道理と熱意の力こそが物事を前に動かしていくんだという光景を目の当たりにしてきました。

小林 そうなんだー。世界がそうやって核廃絶に向かっているんだから、安倍総理もトランプさんにどんなことを言われようが、「わしの国は原子爆弾落とされた国だから」と言ってほしい。実際はアメリカから言われるままじゃないですか。アホみたい。

 昨年の11月にローマ教皇さんが来られたでしょ。「もう核兵器、絶対に廃絶しましょう」といらしていただいているのに、なんだか他人事みたいな感じで「核兵器のない世界へ、ナンチャラカンチャラー」って言うてましたでしょ。ほんま腹立つ。

大平 そんなだから被爆者から「あんたはどこの国の総理大臣なのか!」と言われるんですよね。僕も国会議員時代、何度も安倍政権と核兵器廃絶問題で論戦をしてきました。2015年に初めて国会に送っていただき、初めての国会質問は必ず被爆者の声を代弁するんだと決めていました。

小林 ありがとうございます。

初質問で核兵器廃絶を訴え 総選挙で議席奪還必ず 

大平 初質問は衆議院予算委員会でテレビ中継こそありませんでしたが、菅官房長官や広島1区選出の岸田外務大臣などと論戦をしました。核兵器廃絶の問題とともに、原爆の被害によって重い病気にかかっているということを認めようとしない原爆症認定の問題、さらに被爆者なのに被爆者だとすら認めようとしない「黒い雨」の問題をとりあげました。政府は黒い雨は大変狭い範囲でしか降っていないと不当な線引きをしているんです。広島市は綿密な調査をし政府が定めた範囲の6倍の地域で黒い雨が降ったと発表し、黒い雨被害者も繰り返し詳細な証言をしているにもかかわらず、政府は「あなたの病気は原爆を受けたという思い込みからくる心理的ストレスによるもの」「だからカウンセリングを」と言うのです。本当に許せません。

 その後も毎回の国会で核兵器と被爆者の問題を取り上げ続けてきました。

小林 それにしても安倍さんはひどいわね。「桜を見る会」なんてわがまま放題の遊びじゃない。証拠も全部シュレッダーで廃棄して、ほんと信じられん。ウソも平気でつくし。

大平 本当にそうですね。

小林 私は学校で被爆体験を話すときには必ず話の最後に「正しい人間になって生活してね」と言っているの。「正しい」という言葉の中には、「ウソついたらダメよ」とか「悪いことしたらダメ」とか当たり前だけど大事なことを込めているつもり。安倍総理みたいな人間になったらだめだわ。大平さん、がんばってくださいね。

大平 ありがとうございます。初当選をしたとき、ある被爆者の方から「ヒロシマから共産党の議員が当選したことが本当にうれしい。これは世界に誇れることだ」と言っていただいたことが今も胸に焼きついています。被爆地ヒロシマの議席の重み、その責任を痛感しています。被爆70年で初当選をさせていただきましたから、今度は被爆75年の節目の年に予想されている総選挙で何としても再び議席を奪還する決意です。

小林 ぜひ、ぜひ。大平さんは若いからきっと大丈夫。期待していますよ。

大平 同時に今は「市民と野党の共闘」の時代でもあります。総選挙では共闘の力で安倍政権を退陣に追い込み、野党連合政権の実現で核兵器禁止条約を批准する政府をつくりたい。そのことこそが被爆者の皆さんの願いにこたえる一番の道だと思っています。来年の8月6日、9日に被爆地に来るのはもう安倍首相では決してない。そうなるように全力でがんばります。

小林 ありがとうございます。がんばってください。

大平 小林さんもどうかご健康に留意され、お元気にお過ごしください。今日はありがとうございました。

 

大平・小林対談7

 

小林愛子(こばやし・あいこ)さん 広島で爆心地から1.5㌔の自宅で被爆。現在81歳。兵庫県加古川市在住。元プロ野球選手の張本勲さんのお姉さん。小学校などでの被爆体験の語り部や、「ヒバクシャ国際署名」も先頭にたって奮闘中。