エッセイ

2021年08月30日

私と日本共産党~子どもに誓ったこの道~すみより聡美

私の入党は、2003年20歳の秋、私にとって初めての選挙投票日の前日です。衆院総選挙でした。地元倉敷は岡山4区、自民党は橋本龍太郎元総理。日本共産党は、当時27歳の東つよしさん(現岡山市議)でした。党員である父から、選挙に若い人が出るから若い人の応援が必要だと頼まれ、選挙ボランティアに参加しました。「国民が主人公」という言葉に共感をし、入党を決意たことを昨日のように思い出します。TPPや消費税などの学習会を通じて、私たちを苦しめる問題を掘り下げると必ず「アメリカいいなり」と「大企業優先」に行きつくことを知り、そこを変えることが必要だと正面から訴える日本共産党綱領への確信をもちました。

 私は元小学校の教員です。教員1年目は、全国学力テストの初年度とも重なります。年々教育現場が学力テストに染まり、授業時数の確保が叫ばれ、行事や夏休みが削られていく中もやもやしていた私に、教育のあるべき姿や子どもの権利を大切にした見方を教えてくれたのは、両親をはじめ共産党員の先輩方でした。学力テストの廃止や少人数学級の実現などを求め、運動を続ける姿も見せてくれました。

そして迎える2015年。戦争法に対する国民のたたかいが大きく広がったこの年、私は6年生の担任でした。国語科で原爆ドームが世界遺産になる過程を描いた説明文を読んだ子どもたちは、世界平和をテーマにした作文に、「戦争は儲かる人がいるから続くと知った。そんなのおかしい」「戦争をなくしたい。ぼくもシールズのように自分の言葉で平和を訴えていきたい」などの思いをつづりました。彼らにも背中を押されて、この2年後に共産党の専従への道を決めました。

コロナ危機のもとで、国民的運動が広がり、少人数学級への第一歩が進んだことは本当にうれしいです。総選挙では、声を上げれば政治は変えられる、その先頭に立つ日本共産党の議席を何としても中国ブロックで奪還するために、訴え抜きます。