国会質問

2016年12月12日

戦争法こそ立憲主義を踏みにじる(11月24日憲法審査会)

○大平委員 日本共産党の大平喜信です。

 立憲主義に関して幾つか意見を述べたいと思います。
 まず何よりも重大なことは、安保法制ほど立憲主義を踏みにじったものはないということです。安倍政権は、これまで歴代内閣によって憲法の九条のもとで集団的自衛権の行使は認められないとされてきた憲法解釈を、一内閣の閣議決定によって容認へと変更し、これに基づき安保法制を強行しました。これこそ立憲主義に反するのではないか、こんなことが許されるのかという多くの批判を浴びたのであります。
 しかし、こうした批判に対し安倍首相は、立憲主義とは、主権者たる国民が、その意思に基づき、憲法において国家権力のあり方について定め、これにより国民の基本的人権を保障する考えだと述べられ、国家権力を縛るという考え方は、かつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え方であると述べられました。ここには、権力を拘束し、制限するという立憲主義の最も基本的な問題を殊さら曖昧にしようとする意図を感じざるを得ません。
 昨年六月四日の本審査会参考人質疑でも、長谷部参考人は、立憲主義の意味の一つは、何らかの形で権力を制限することであると述べられ、小林参考人も、立憲主義というのは、権力者の恣意ではなく、法に従って権力が行使されるべきであるという政治原則であると述べられました。憲法の拘束のもとで政治を行うべき安倍政権が、憲法を乗り越える恣意的な解釈によって集団的自衛権の行使を認めたことこそ、立憲主義に反するものだと指摘しなければなりません。
 次に、安倍政権が踏みにじった歴代政府の憲法解釈はどのようにして形成されたのかということについてです。
 そもそも憲法九条は、戦争放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を定めており、海外での武力行使など到底認めておりません。しかし、日本政府は、アメリカからの再軍備の圧力に従って警察予備隊を創設しました。政府は、警察上の組織であり戦力ではないから九条には違反しないと述べたのであります。
 その後、日米安保のもとでの軍備増強のため、保安隊を自衛隊に改組するに当たり、警察権なので戦力ではないという論理が通用しなくなったため、自国に対して武力攻撃が加えられた場合に国土を防衛する手段として武力を行使することは憲法に違反しないとして、九条のもとで認められる自衛権の行使の範囲は、他に方法がなく、急迫不正の侵害があって、それを排除するために必要最小限度の措置であるという答弁をしたのです。
 この九条に関する政府の解釈は、幾度も国会において議論になりました。例えば、朝鮮有事における米軍と自衛隊の共同作戦を研究した三矢作戦計画や、韓国の安全が日本の安全にとって緊要と述べた佐藤・ニクソン声明によって自衛隊のアジア派兵が議論になった際、当時の佐藤栄作首相は、朝鮮有事は日本の有事であり、集団的自衛権の発動があり得るのではないかという質問に対して、韓国が侵略された、あるいは韓国に事変が起きた、それが直ちに日本の侵略あるいは日本の事変と考える、これは行き過ぎだと思うと否定されました。そして、この根拠として、外国に危害を加えられた、武力行使を阻止することを内容とする、いわゆる集団的自衛権の行使は憲法上認められないとする政府統一見解を出したのです。その後、自衛隊の海外派兵が問題となるたびに、集団的自衛権は認められないという答弁を政府は繰り返してきました。
 こうした長年の議論によって積み重ねられたのが政府の憲法解釈です。これを一内閣の判断によって覆したのが安倍政権であります。この閣議決定が立憲主義にもとると批判したのは、六月四日に来られた憲法学者の方々だけではありません。
 参議院での安保法制特別委員会の参考人質疑では、大森政輔元法制局長官は、「閣議決定による集団的自衛権の行使認容は、超えることができない憲法則ともいうべき基本原則からの重大な逸脱である」と述べられました。また、山口繁元最高裁判所長官は、集団的自衛権は憲法違反だとする憲法解釈が六十余年とられ、国民の支持を得てきたという事実は重い、それは単なる解釈ではなく規範へと昇格しているのではないか、九条の骨肉化している解釈を変えて集団的自衛権を行使したいのなら、九条を改正するのが筋だと語られました。
 さらに、安全保障関連法に反対する学者の会は、その声明の中で、歴代の政権が憲法違反と言明してきた集団的自衛権の行使を、解釈改憲に基づいて法案化したこと自体が立憲主義と民主主義を侵犯するものであると述べています。この学者の会が出したアピールには、一万四千人以上の学者、研究者が賛同をしています。憲法学者、法制局長官、最高裁判所長官、そして分野を超えた学者、研究者の方々が閣議決定と安保法制を立憲主義違反だと指摘し、多くの市民が立憲主義を守れと国会を包囲し、安保法制の廃止を求める署名は一千五百八十万筆を超えています。
 その上で私が指摘をしたいのは、この立憲主義の当然の原則を、集団的自衛権行使容認の閣議決定の前には自民党議員の方々も認めていたということです。
 この憲法審査会に臨むに当たり、私も先輩方の過去の議論を学ばせていただきました。その中で、例えば二〇〇二年六月六日の憲法調査会で高村委員は、法というのは、権力の側も拘束するのであるから、内閣が今までずっと集団的自衛権はだめだという解釈をとってきたのに、必要だからぱっと変えてしまうというのは、私はそこにやはり問題があると言わざるを得ない、本筋からいえば、やはり国民的議論のもとで憲法改正をしていく、集団的自衛権を認めるような形でとおっしゃっておられます。
 あるいは、二〇〇四年二月五日の憲法調査会で中谷委員も、集団的自衛権に関して、日本は法治国家でもありますし、また、私も立法府の人間として、このような重要問題を解釈の変更によって実施すべきではない、この自衛権の考え方は、きちんとした学説と理論によって構築をされておりますので、これで集団的自衛権も読むとなりますと、常道からしても改正の手続をとるべきと。日本国憲法のもとで集団的自衛権は行使できない、解釈で変えるべきではないと明確に述べておられます。
 それが今では、これまでずっと認められないとされてきたものを一内閣の解釈で変更してもいいのだと言われる。これこそ立憲主義に反する姿勢ではないでしょうか。安倍政権が、幾多の批判にもかかわらず、さらに過去のみずからの考えを覆してまで強行した閣議決定、安保法制は、たとえどれだけ時がたっても、立憲主義違反、憲法違反のままです。
 私たちは、安保法制を廃止し、閣議決定を撤回する闘いを国民とともに進めていくこと、戦争するための憲法改正ではなく、九条を生かした平和外交を行うことこそ大切であるということを述べまして、発言を終わります。