国会質問

2017年06月12日

教育勅語はすべて現行憲法に反する(4月8日文部科学委員会)

衆議院会議録情報 第193回国会 文部科学委員会 第9号

○大平委員 日本共産党の大平喜信です。
 教育勅語についてきょうは伺いたいと思います。
 まず、文部科学省の教育勅語についてのそもそもの立場について確認をしたいと思います。
 一九四八年の六月十九日、衆議院本会議で全会一致で可決をされた、先ほどもありました教育勅語等排除に関する決議について、この間さまざまな場で取り上げておられますが、文科省はそれを承知しているということを繰り返しておられます。
 そこで伺いたいのは、この本会議で同決議が可決したことを受けて、森戸辰男文部大臣が発言をしております。その冒頭で何と言っておられるか、御紹介いただけますか。
○有松政府参考人 お答え申し上げます。
 読み上げさせていただきます。
 昭和二十三年六月十九日の衆議院本会議におきまして、当時の森戸文部大臣は、
  敗戦後の日本は、国民教育の指導理念として民主主義と平和主義とを高く掲げましたが、同時に、これと矛盾せる教育勅語その他の詔勅に対しましては、教育上の指導原理たる性格を否定してきたのであります。このことは、新憲法の制定、それに基く教育基本法並びに学校教育法の制定によつて、法制上明確にされました。本院のこのたびの決議によつて、あらためてこの事実を確認闡明せられましたことは、まことにごもつともな次第であります。この際私は、この問題に関しまして文政当局のとつてきました措置と、本決議に含まれた要請に処する決意とを申し上げたいと存ずるのであります。
と発言をしております。
○大平委員 大臣に伺います。
 今読み上げられたこの内容は、今日においても同様の立場だということで間違いありませんか。
○松野国務大臣 お答えをいたします。
 教育勅語については、昭和二十三年六月十九日の衆議院本会議において、当時の森戸文部大臣が、「教育勅語その他の詔勅に対しましては、教育上の指導原理たる性格を否定してきたのであります。このことは、新憲法の制定、それに基く教育基本法並びに学校教育法の制定によつて、法制上明確にされました。」と発言しているとおりであると考えております。
○大平委員 今も同様の立場だと確認いたしました。
 森戸大臣は、敗戦後の日本は、国民教育の指導理念として民主主義と平和主義とを高く掲げ、これと矛盾せる教育勅語を否定してきたと述べました。
 大臣に伺います。
 つまり、当然、教育勅語は現行日本国憲法とは相入れないものだということ、この理解で間違いありませんか。
○松野国務大臣 教育勅語については、日本国憲法及び教育基本法の制定等をもって、法制上の効力が喪失をしております。学校において、教育勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切でございますが、憲法や教育基本法等に反しないような形で教育勅語を教材として用いることまでは否定されることではないと考えております。
○大平委員 例の答弁書を大臣は読み上げられたというふうに思いますが、法制上の効力が喪失しているということは先ほど伺いましたが、現行日本国憲法とは相入れないものだというこの理解で間違いないかということを聞いております。
○松野国務大臣 先生の相入れないという表現が、どういった趣旨に理解すればいいか、ちょっと私の方でも整理がつきませんが、文部科学省としての立場は、教育勅語において、日本国憲法や教育基本法の制定をもって法制上の効力が喪失をしている、法制上の文章ではなく一般的な文章であるという認識であるということでございます。
○大平委員 衆議院で全会一致で可決された決議では、教育勅語の根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基づいている事実は、明らかに基本的人権を損ない、かつ国際信義に対して疑点を残すものとなる、よって憲法九十八条の本旨に従い、これを排除すると述べておられます。そして、それに答えて、森戸大臣も、「本決議に含まれた要請に処する決意とを申し上げたい」、先ほど局長に読み上げていただいたこのことを述べた。そして、それは今も同様だという大臣の御答弁でもあったと思います。
 私は、当然、現行日本国憲法と教育勅語というのは相入れるものではないことは明らかだというふうに思います。
 さらに、森戸辰男大臣は、発言の中で続けて、次のようにも述べております。「教育勅語は、教育上の指導原理としては、法制上はもちろん、行政上にも、思想上にも、その効力を喪失いたしておるのであります。」
 大臣、ここで森戸大臣が言われている、教育勅語は、法制上はもちろん、思想上にもその効力を喪失いたしておるというのは、どういう意味だということでしょうか。
○松野国務大臣 お答えをいたします。
 当時の森戸文部大臣は、御指摘の衆議院本会議において、「思想的に見まして、教育勅語は明治憲法を思想的背景といたしておるものでありますから、その基調において新憲法の精神に合致しがたいものであることは明らかであります。」と発言をしており、このことを指しているものと考えております。
○大平委員 新憲法に合致しないものだということだという御答弁でした。
 この間、政府は、教育勅語は、日本国憲法及び教育基本法の制定等をもって法制上の効力が喪失していると、先ほども大臣おっしゃられました、繰り返し答弁をされていますが、先ほどもあったとおり、森戸文部大臣は、法制上はもちろん、それだけではなく思想上においても効力を喪失していると述べ、その意味は、今大臣が御説明があったとおりだというふうに思います。
 法制上も効力を失い、思想上も効力を失って、国民主権を掲げる日本国憲法の精神とは全く相入れないものであるということが、こうした森戸大臣の発言からも何重にも語られているのであります。
 そこで伺います。
 それにもかかわらず、松野大臣は、四月三日、我が党の宮本徹議員が、教育勅語の中にどこか一カ所でも憲法に反しない部分があるのかと質問したのに対して、どの部分が憲法に反するか反しないかに関しての判断を文部科学省においてするものではないというふうに答弁をされました。
 教育勅語は現行憲法に全て反すると私は思うわけですが、これが衆議院の決議と、そして森戸大臣の発言の趣旨ではなかったかと思うわけですが、大臣の御答弁との整合性、どういうことなんでしょうか。
○松野国務大臣 御指摘の答弁の趣旨は、教育勅語は日本国憲法及び教育基本法の制定等をもって法制上の効力が喪失をしておりますので、既に法制上の効力を持たない教育勅語のどの部分が憲法に反するか反しないかは、文部科学省において判断するものではないという趣旨で答弁をさせていただいたものでございます。
○大平委員 なぜ判断しないんですか。
 森戸大臣も、繰り返しになりますが、はっきりと、敗戦後の日本は、国民教育の指導理念として民主主義と平和主義とを高く掲げ、これと矛盾せる教育勅語を否定してきたと述べており、そして、文部科学省としても今もその立場だと、今大臣、答弁したではありませんか。はっきりお答えいただきたい。
○松野国務大臣 先般の政府の答弁書並びに私が繰り返している答弁の趣旨は、文部科学省として、または政府として、教材として用いる対象について適切な対応の仕方であれば否定するものではない、ポイントは、その教材をもっていかなる教育がなされるか、どんなことを伝えるためにこれが用いられているか、そしてその伝える内容が憲法や教育基本法の趣旨に反していないかどうか、これをもって適切か否かを判断するということの趣旨において答弁をさせていただいたものでございます。
○大平委員 その問題は、私、また後に伺いたいと思っているんです。
 つまり、文部科学省としての立場として、教育基本法、憲法に反するのか反しないのかといったときに、これまで確認してきたように、森戸大臣も、現行日本国憲法の精神と矛盾する教育勅語を否定してきたと述べている。なぜこれが松野大臣の口から確認がされないのか私はわからないんですけれども、明らかに矛盾しているというふうに思うんですね。
 さらに伺いたいんですが、二月の二十三日、衆議院の予算委員会の第一分科会で、民進党の辻元清美衆議院議員の質問に対する文部科学省の藤江審議官の答弁では、教育勅語の内容の中には今日でも通用するような普遍的な内容も含まれていると述べています。
 これは、大臣、先ほどの四月三日の宮本議員に対する、質問で述べた、憲法に反する反しないは文部科学省として判断しない、これは、藤江審議官の答弁は判断しているんじゃないですか。矛盾していませんか。
○松野国務大臣 お尋ねの藤江審議官の発言は、教育勅語の中にある、夫婦相和し、もしくは朋友相信じなどが今日でも通用する内容、これは学習指導要領の中においても言及をされている内容の方向であるという趣旨で答弁をされたものと考えております。
○大平委員 まさにその点に、私は、今多くの国民の皆さんの疑念や不安、そして反発が広がっているというふうに思うわけです。
 藤江審議官は、さらに続けて、次のように述べています。先ほども大臣からありましたけれども、こうした内容に着目して適切な配慮のもとに活用していくことは差し支えない、こういうふうに述べています。
 加えて、この間、菅官房長官も、四月三日の記者会見におきまして、次のように述べております。
 教育勅語には、親を大切にするとか、兄弟、姉妹が仲よくするとか、友達はお互いに信じ合うなどといった項目もあることも事実でありまして、憲法や教育基本法に反しないような適切な配慮のもとで取り扱うことまで否定することはないというふうに述べています。
 そして、先ほど大臣もおっしゃった、三月三十一日、政府答弁書の閣議決定で、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教育に関する勅語を教材として用いることまでは否定されることではない」という答弁書を閣議決定いたしました。
 これが国民の大きな波紋を呼び、例えば読売新聞の四月六日付の社説でも、道徳などで教育勅語を規範とするような指導をすることは厳に慎まなければならないと述べられているように、この閣議決定によって、全国で教育勅語の乱用が起こるのではないか、あの森友学園の幼稚園で行われたような教育勅語の暗唱などということまで含めて容認をされ、乱用が起こるのではないか、こういう国民の大きな不安や疑念が広がっているというふうに私は思います。
 大臣はこの間、先ほどの答弁でもありました、この政府答弁書、閣議決定の趣旨は、教え方、扱い方がポイントだと繰り返されておられます。そうであるならば、国民の不安や疑念の大もとになっている、例えば藤江審議官の先ほどの発言や、あるいは菅官房長官が述べた、教育勅語には今日でも通用する内容があり、配慮すれば、それを教えるのに活用することは問題ない、こういう趣旨の発言は撤回すべきじゃないかというふうに私は思うわけですが、大臣、いかがですか。
○松野国務大臣 先ほど申し上げたとおり、個々の藤江審議官が挙げた内容に関しては、教育勅語の中にあってということよりも、この個々、単体の考え方、思想として、家族観の問題、また友情に関する問題、こういったことは今日の学習指導要領においても言及をされていることだという点において述べられたものであるというふうに認識をしているところであります。
○大平委員 大臣は、個々の中に述べられてあることを取り上げて言っているものだと思う、そういう趣旨の御答弁だったかというふうに思います。
 そこで伺います。
 教育勅語の中にある友情とかあるいは家族とか、そういうことに関する部分を取り出して教材に活用するというやり方が本当に通用するのか、許されるのかというこの問題を、歴史に振り返りながら私は質問していきたいというふうに思います。
 きょう、私、ここに、戦前、一九三七年に文部省が編集、発行した「国体の本義」という書物のコピーを持ってまいりました。私も今回、改めてその内容を学ばせていただきました。国体とは何かということが詳細に書かれてあるものであります。その中で、教育勅語についてどのように述べられているか。
 政府参考人、教育勅語についてというところを読み上げていただけますか。
○有松政府参考人 私、「国体の本義」について、手元に持っておりますけれども、忠についてということのお問い合わせをいただいておりましたので、忠について、「国体の本義」におきまして、忠は、天皇を中心とし奉り、天皇に随順する道であるということを申し上げたいと思いますけれども、ちょっと教育勅語の部分については、この中で探してみたいと思います。
○大平委員 四十一ページの、「畏くも「教育ニ関スル勅語」に示し給うた如く、」という部分ですよ。そこを読み上げていただきたい。
○有松政府参考人 大変失礼いたしました。その部分を読み上げさせていただきます。
 「忠は、国民各自が常時その分を竭くし、忠実にその職務を励むことによつて実現せられる。畏くも「教育ニ関スル勅語」に示し給うた如く、独り一旦緩急ある場合に義勇公に奉ずるのみならず、」云々ということでございます。
○大平委員 「国体の本義」では、今読み上げていただきました「畏くも「教育ニ関スル勅語」に示し給うた如く、」から始まり、「父母に孝に、」と、いわゆるこの間言われております十二の徳目を紹介した上で、「皆これ、大御心に応え奉り、天業の恢弘を扶翼し奉る所以であり、悉く忠の道である。」と述べております。つまり、列挙をされた徳目は全て、ことごとく忠の道そのものであるということが、この文部省の「国体の本義」の中で書かれてある。
 ここで言う忠の道ということは何を指していますか。これもはっきり書いております。御紹介してください。
○有松政府参考人 大変失礼いたしました。
 その忠について、「忠は、天皇を中心とし奉り、天皇に絶対随順する道である。」と記載されております。
○大平委員 つまり、この文部省の「国体の本義」の中では、親を大切にするとか、兄弟姉妹が仲よくするとか、友達はお互いに信じ合う、こういうことを言った徳目は全て、ことごとく忠の道、先ほど政府参考人から紹介していただきました、忠の道とは、天皇に絶対随順する道であるという、ここにつながる。
 そういうものとして教え込まれてきたから、もう一度、冒頭に紹介をした一九四八年の排除決議の趣旨に戻りたいと私は思うんですが、その趣旨弁明に立った松本議員は、その痛苦の経験を踏まえて、部分的に取り出して活用することも許されない、この立場で、趣旨弁明の中において次のように述べたのであります。
 「教育勅語の内容におきましては、部分的には真理性を認めるのであります。それを教育勅語のわくから切り離して考えるときには真理性を認めるのでありますけれども、勅語というわくの中にあります以上は、その勅語そのものがもつところの根本原理を、われわれとしては現在認めることができないという観点をもつものであります。それが憲法第九十八条にも副わないゆえんでありまするので、この際この条規に反する点を認めまして、われわれはこの教育勅語を廃止する必要があると考えざるを得ない」、このように松本議員は述べたのであります。
 いわゆる部分的評価論についても厳しく否定をしたのであり、それを受けて、冒頭紹介しました森戸文部大臣も、「本決議に含まれた要請に処する決意とを申し上げたい」と答えたのであります。
 松野大臣、改めて、こうした歴史を踏まえれば、教育勅語全体はもちろん、部分であっても、肯定的に活用するなどということは決してあってはならない、いかがですか。
○松野国務大臣 私がこれまで答弁をさせていただいたことは、部分として取り上げればいいとか、全体がだめだとか、そういった議論をしてきておりません。
 もちろん、私から委員に反問権がないのは重々承知をしておりますが、より議論を整理して、私の方も正しく答弁をさせていただくために事例を挙げさせていただきますと、例えば、中学校や高校の歴史、公民、倫理等の教科書において、既に、もちろんこれは検定を終えた正式な教科書でございますが、それが今、学校現場で使用されております。これをもってどう捉えるかということもあります。
 これは当然、今までも繰り返し答弁させていただいておりますが、何を教材として選択するのか、これは学校教育法上において、一義的にその教師と学校長の当然の裁量に委ねられるものだというふうにあるわけであります。
 ですから、私が今まで申し上げたものは、教育勅語の精神を教えるために用いるとか用いないとかということではありません。一つの教材を取り上げて教師がどういったことを伝えようとするかに関しては教員の裁量に委ねられるべきものだ、そして、それが憲法や教育基本法の精神に照らし合わせて適切でないという判断をするのは所轄庁や所管庁であるということを再三繰り返し申し上げているとおりでありまして、先ほど来先生の方でお話をいただいている、趣旨を子供たちに伝えるためにこれを使っていいとかいけないとかという議論をしているわけではないということは御理解をいただければと思います。
○大平委員 三月三十一日の政府の答弁書が出てから、国民の皆さんの中に大きな不安、疑念、反発が生まれております。
 先ほどの大臣の答弁もありました。私は、一般的な教材であれば、この間繰り返し大臣がおっしゃっておられます、どの教材を使うのかは学校教育において学校現場の責任と判断だ、そういう趣旨の答弁を大臣はおっしゃっておられると思います。あの趣旨は、私も、その点、一般的な教材であればそのとおりだというふうに思います。しかし、事は教育勅語です。私は、決して一般論で済ませられる話ではないというふうに思うわけですね。
 きょう一つ一つ確認してきたように、日本国憲法に相反し、法制上も思想上も効力を失っている。国会で全会一致で明確に排除されたものだ。大臣、これを一般的な教材と横並びに扱うことは私はできないんじゃないかと思うわけですが、いかがですか。
○松野国務大臣 私が先生のお話をよく理解していないのかもしれませんが、先ほど申し上げたとおり、もう既に、中学校、高校においての教科書において、教育勅語は全文またはその一部、要約の形等々で教材として使用されているわけでございます。
 委員のお話から私が推測するにということであれば、この教科書は使用ができないということになるのかもしれませんが、例えば歴史教育であるとか、そういった教育以外の部分においても、一定の教材を提示して、その教材自体が憲法の趣旨に反する内容を書いてあるものであっても、それを教師が教材と提示して、これは現行憲法の例えば基本的人権であるとか主権在民であるとか、そういったことに反している内容が書かれているけれども、これについてどう皆さん方が考えるか、そういった教育のしようはあるんだろうというふうに思います。
 そういったことまで教員が用いて教えてはならないというようなことを文部科学省として申し上げる立場にないということを繰り返しお話しさせていただいているわけでありまして、決して、私や政府が、道徳等の教材に教育勅語を推奨しているというようなことは全くございません。
○大平委員 私は、今の大臣の答弁の趣旨でいいますと、教育勅語で子供たちに伝えるべきは、例えば、歴史や公民の授業などで、教育勅語というのは、その内容そのものですけれども、一大事が起これば一身をささげて皇室国家のために尽くせということが書いてあるんだというこの事実。あるいは、それを戦前子供たちに教え込んで、戦争へと駆り立てていったそういう歴史の事実。そして、冒頭確認をしましたけれども、それが戦後の日本において、戦後の日本社会は、それを明確に排除した日本国憲法のもと、国民主権、基本的人権、恒久平和主義という新しい原則が確立をされて再出発されたというこの歴史の事実。そういうことに教育勅語はあったんだということを教えるということは私は理解しています。
 この政府答弁書の趣旨はそういうことを言っているということは間違いないですね。
○松野国務大臣 先般来、また本日も繰り返し答弁させていただいているとおり、政府答弁書、また私の答弁においてお話をさせていただいていることは、その教材自体がどうかということではなくて、その教材を通して何を伝えるかということが重要である。ですから、教室現場においていかなる教材を用いようとも、そこから導き出される教育の目的が憲法や教育基本法の原則に反するものであれば、それは当然適切でないという考え方でございます。
○大平委員 親を大切にするとか、兄弟姉妹が仲よくするとか、友達はお互いに信じ合おうということ、こういうことを子供たちに伝えよう、教えようと思えば、教育勅語以外でも幾らでもそのことを伝える資料や教材がありますよね。例えば道徳の教科などでそれを伝えるのに、教育勅語である必要は全くない、どころか、きょう、ずっと歴史もたどってきましたけれども、そもそも、日本国憲法に相反するこの教育勅語を、憲法に反しない形で肯定的に扱うということがあり得るのかと私は思うわけですけれども、いかがですか、大臣。
○松野国務大臣 例えば、先ほど来先生の方から戦前の教育のありようについて言及がありました。そして、その戦前の教育のあり方の根本原理として用いられたのが教育勅語であります。そういった戦前の教育に関する、先生は、戦前の教育に関してこういった問題点があるというお話をされたんだと思いますが、その内容を理解するために、その根本原理とされた教育勅語がこういったものであったということを教材として使用することは、私は全く問題がないというふうに考えております。
○大平委員 私は、教育勅語の教材としての活用の仕方というのは、今大臣がおっしゃった、あるいは例示として私が今紹介しました、そういう形で紹介する以外にあり得ないというふうに思うわけです。
 この間、菅官房長官も記者会見でおっしゃいましたし、それが今、国民の大きな不安や疑念の原因になっているわけです。道徳の教科においてこういう徳目を取り出して教えるということなどがあってはならないということが、大きな国民の不安や批判の的になっているわけです。
 私は重ねて申し上げたい。日本国憲法に反する教育勅語、国会で全会一致において決議をされた、そうした趣旨からも、そしてそれに答えた文部省の、大臣の御先輩である森戸文部大臣からも、この決議の趣旨に、その実行に資する決意だ、こういう高らかな決意が語られた。
 法制上も思想上も効力を失った教育勅語をそういう形で、学校において、教育現場において活用するということは決してあってはならないということを私は重ねて申し上げまして、きょうの質問を終わりたいと思います。
 ありがとうございました。