国会質問

2017年06月12日

教育の無償化をダシに憲法改正はご都合主義(5月18日憲法審査会)

衆議院会議録情報 第193回国会 憲法審査会 第5号

○大平委員 日本共産党の大平喜信です。
 五月三日の改憲発言以来、安倍首相が改憲議論の加速化のために憲法審査会のあり方まで指示をしているのは、まさに三権分立を脅かすものです。
 首相の改憲発言は、日本国憲法の非軍事、平和主義という根幹に風穴をあけようというものであって、断じて認められません。
 私は、もう一つの安倍首相発言である教育の無償化についても意見を述べたいと思います。
 安倍首相は、三日の読売新聞のインタビューで、「七十年前、憲法が普通教育の無償化を定め、小中学校も九年間の義務教育制度が始まった。」「高等教育も全ての国民に真に開かれたものとしなければならない。」と述べ、高等教育の無償化のための憲法改正に言及しました。
 しかし、教育の無償化は、憲法に書き込めば実現する、あるいは、憲法に書き込まなければ実現しないというような問題ではありません。
 そもそも日本国憲法は、第二十六条一項で、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と明記しています。この権利の実現のための教育条件の整備こそ、政治に求められていることです。
 しかし、現実は、家計の経済的状況によって、つまり、お金がなければ教育を受けられない状況がつくり出されています。
 小学校や中学校の義務教育は無償とすると憲法二十六条二項は明記しています。
 しかし、実態としては、無償とはなっていません。
 小学校や中学校では、制服や学用品の購入費、修学旅行費、そして給食費やあるいは給食未実施によるお弁当の持参など、いまだに、修学のために多くの負担を家計に強いています。そのため、クラスで一人だけ修学旅行に行けない、お弁当を持ってこられないためにお昼の時間に教室にいられない、部活にも参加できないなど、子供たちの孤立化を招き、発達に悪影響を及ぼしているのであります。
 まさに、全ての国民のひとしく教育を受ける権利が侵害されている。憲法と乖離したこういう状況こそ、一刻も早く改善するべきです。
 その点で何よりも指摘しなければならないのは、この間の安倍自民党政権の教育に対する姿勢であります。
 多くの国民の運動、要求により高校授業料の無償化が実現しましたが、それを廃止し、所得制限を設けたのは、ほかならぬ安倍政権だったではありませんか。自民党の皆さんは、この判断が間違いであったとお認めになるのですか。
 さらに重大なのは、高等教育が全ての国民に真に開かれていない状況をつくり出してきたのは、低過ぎる高等教育予算と高学費という政策を推し進めてきた歴代自民党政権だということです。
 そのもとで、今や、国立大学の初年度納付金は八十一万円、私立大学は百三十万円にもなります。この高学費が進学を諦める大きな要因になっています。
 また、進学をしても、多くの学生がアルバイトに追われ学業に励めず、本来、生活補填が目的のはずの奨学金を学費の支払いに充てざるを得なくなっています。さらに、有利子奨学金の拡大と延滞金、サラ金まがいの取り立てが学生や若者たちを苦しめています。
 この政策を転換し、学費の引き下げ政策に踏み出すことこそ政治が果たす役割だと、この間、私たちは繰り返し指摘してきました。
 しかし、安倍首相も松野文科大臣も麻生財務大臣も、一言たりとも学費の引き下げには触れなかったではありませんか。にもかかわらず、憲法を変えるという目的のために高等教育の無償化を書き込むなど、余りにも御都合主義だと言わざるを得ません。
 結局、安倍首相の真の目的は、教育の無償化をだしに九条を変えたいというものであることは明らかです。
 これに対し、やり方がひきょうだ、国民投票するお金があるなら奨学金へという批判が上がったのは当然であります。多くの世論調査でも、高等教育の無償化実現は憲法の問題ではないという意見が多数です。政策の転換によって早急に無償化にかじを切るというのが国民の願いです。
 無償化実現のために必要なことは、憲法を変えることではなく、今すぐでも教育予算を抜本的にふやし、学費の引き下げを行う政策判断をすることであると述べて、私の発言を終わります。
○太田(昭)委員 第八章に四条しか地方自治がなく、抽象度が高い、そのために国がどうしても優先してしまうという憲法になっているということであるのは、指摘のとおりだと思います。