【ごあいさつ】

被爆地・広島で生まれ、小さなお好み焼き屋を営む母の背中を見て育ち、「戦争も貧困もない世の中を」と日本共産党に入党しました。
被爆75年―。いまだ原爆被害をまともに認めず、被爆者に「あなたはどこの国の総理大臣か」と言わせるような国を変えたい。
コロナ危機のなか、店をたたんだ業者や夢をあきらめた学生がいました。水害でブドウの木を失った農家、土砂災害で二人の息子を奪われた母親も…。一方でカネとウソにまみれ、ごまかしや隠ぺいに明け暮れる政治が平気で続いています。
こんな政治を変えたい。今こそ国民に寄りそい、現場の声が届くまっとうな政治に。だから私は再び国会へ行く。日本共産党の議席奪還必ず。
【自己紹介】
●生年月日
1978年(昭和53年)2月28日
●学歴
広島市立南観音小学校
広島市立観音中学校
広島市立舟入高等学校
広島大学学校教育学部小学校教員養成課程(家庭科研究室)
●主な活動歴

民青同盟(日本民主青年同盟)広島県委員長
同中央常任委員、高校生対策委員会責任者、「われら高校生」編集長
日本共産党広島県常任委員、青年学生部長
同広島県災害対策本部副部長
2010年参議院選挙(比例)、2012年衆議院選挙(比例中国)に立候補、落選
2014年12月衆議院選挙にて初当選(比例中国)
文部科学委員会、災害対策特別委員会、憲法審査会を担当
2017年10月衆議院選挙(比例中国) 落選
現在、再選をめざして引き続き比例中国ブロックで活動中
●趣味

山歩き、野球観戦(カープ)、音楽鑑賞
料理…家族の朝ごはんと弁当づくりが日課です。単身赴任のいまも弁当持参でやっています。
●家族
妻、一男
大平Now
●ヒロシマの心を引き継ぎ――アツく やさしく
大平さんは、小さい頃から原爆の話を聞き、「テロと戦争を止めよう」と青年時代を過ごした、ヒロシマの心を引き継ぐ政治家です。
バイトと母子家庭への支援制度で広島大学学校教育学部を卒業し、小学校の教員免許を取得。料理と食べることが好きで家族の弁当づくりが日課です。
●これまでの活動
【おいたちから入党にいたるまで】

ぜんそくやアレルギーなどがあり、体が弱く、よく熱をだしていた幼少時代でしたが、幼稚園で毎日乾布摩擦をし、町内会のソフトボールチームに加わって走りまわったおかげで、元気に育ちました。
中学では野球部に入るとともに生徒会長も務めました。高校でも引き続き野球部に入り、1番・センターでキャプテンも務めました。大学では、勉学とバイトのかたわらで、軽音楽サークルに入り、ボーカルやベースなどを担当しました。

実家では、母親が小さなお好み焼き屋を営んでいましたが、あまり裕福な家庭ではなく、3つ上の兄も私も、必死にバイトをし、大学では授業料免除の制度も利用してなんとか卒業することができました。
しかし、父や母や兄、近所のおじちゃん、おばちゃん、学校の先生など身近にいた方たちが、たいへん世話好きで、自分のことは後にしてでも「世のため人のため」に動く――そんな姿を目の当たりにしながら育ったおかげで、貧乏でも希望を持って人生を歩むことができました。
そして、そんな方たちの多くが日本共産党の党員であることを知り、大学入学直前の私に「おかしいことには声をあげよう」「社会はかわるし、かえられる」と語ってくれたことに胸をうたれ、自分もそんな生き方がしたいと入党を決意しました。
【大学時代】

大学時代は、バイトにあけくれながら「自分はどう生きるのか」と模索し、マルクスなどの思想家の本にふれたり、自転車で旅に出たり、アコースティックギターを持って路上ライブをしたりしながら、4年間をすごしました。
教育実習などを通じて、子どもたちとふれあい、教壇にもたつ中で、すべての子どもたちが勉強がよくわかり、安心して安全に過ごしていけるようになるためには、教育環境の改善も重要だと感じ、政治に関わっていく、働きかけていく大事さを学びました。
そして、卒業後の進路は悩みに悩んだ末に、同世代の仲間たちと力をあわせて政治や社会をよりよい方向へ変えていく、その活動を仕事にできるということに魅かれ、学生時代から活動をしていた、民青同盟に勤めることを決意しました。
【民青同盟時代】

民青同盟では、2000~2010年まで10年間、仕事をしました。
2001年にアメリカで同時多発テロが起こり、それへの報復としてアメリカがアフガニスタンへの空爆をおこない、イラク戦争へと続いていくなか、「テロも戦争も許さない」と連日、繁華街での署名活動やピースウォークにとりくみました。

また、被爆地ヒロシマでいっかんしてとりくんできたのは、核兵器のない世界をめざす活動です。毎年8月におこなわれる原水爆禁止世界大会で、「被爆の実相を継承しよう」と、全国から集まる青年たちに被爆者のうったえを聞いてもらい、ともに交流をする集会を主催してきました。
民青同盟中央委員会に勤めてからは(2006年~)、主に高校生分野で活動をしてきました。高校生たちの勉強や進路、生き方や人間関係をめぐるさまざまな模索や願いによりそい、ともに歩んでいくなかで、たくさんのことを教えられました。
何より、一人ひとりの実態や思いを「わかったもの」とせず、じっくりとその相手の話に耳を傾け、その丸ごとの姿をとらえることが大事であるということを学びました。
【党広島県委員会時代】
2010年から5年間、日本共産党広島県委員会に勤め、青年学生部で活動をしました。
大学生たちとともに、世界一高い日本の大学の学費値下げを求める運動にとりくみ、署名を持って毎年、国会・省庁要請もおこないました。
「ノルマが達成できなければ殴られたあげく、成果が上がるまで帰してもらえない」など、法違反であるだけでなく、人権すらふみにじるようなブラック企業の横暴をなくすため、青年たちとともに「働く青年実態アンケート」を集め、県や市の関係機関に告発し、改善を求める活動にもとりくんできました。
2014年8月に発生した広島市北部の土砂災害で、私たちはただちに土砂災害対策本部を立ち上げ、被災地のお宅一軒一軒をうかがい、お見舞いを申し上げながら、ご要望を聞き取る活動にとりくんできました。1カ月間で2449軒を訪問し、寄せられた声をまとめて広島市や県、国に届け、改善をもとめる活動もおこなってきました。