活動日誌

2015年05月18日

被爆地ヒロシマのたたかいの歴史にふれ

16日、広島県被団協の理事長として長年ご尽力され、今年1月に89歳でお亡くなりになった、金子一士さんの偲ぶ会がおこなわれ、私も参加をしました。

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金子さんは元々教員で、教え子のみなさんや同僚教員のみなさん、地域の方や一緒に活動された方など、たくさんの方がこられていました。

教え子のある方は、「先生の話で覚えているのは、『歴史をなぜ学ぶか。年号や人物の名前を覚えるのが大事じゃのうて、この日本で(世界で)起こったこと、行われたことを知り、その上で、では自分はどう生きていくかを考えることじゃ』と話してくれたこと」と涙をこらえておっしゃっていました。

また、教員仲間の方のお話では、金子さんは後輩・若手教員たちの話をよく聞き、よく家に2~3人の後輩を呼んでは悩みを聞き、飲み明かして、翌日一緒に出勤していたそうです。

退職後、金子さんは、教員仲間や地域から被爆者運動を組織し積み上げながら、広島県被団協理事長として、被爆の実相・ヒロシマの心を全国へ、また世界へと発信していかれました。
その偉大な業績は、会に参加された方や取材にきていたマスコミの数をみれば、よくわかります。

そして、なんといってもその情熱です。
生前に自ら建設した墓碑には、「人類と核兵器は共存しない」と刻まれていることを知り、衝撃を受けました。

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金子さんと一緒にがんばってこられた、ある参加者からは「原爆慰霊碑には『安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから』と刻まれており、金子さんにも心からそうよびかけたいが、今の安倍政権をみていると、とても安らかに眠れない。こんな状況では原爆犠牲者に申し訳ない。なんとしても戦争する国づくりはくいとめ、核兵器のない世界をつくらなければ」とのあいさつがありました。

私も一言だけあいさつをさせていただきました。
この会に参加し、みなさんのお話を伺って、金子さんの遺志を受け継ぐことはもちろん、多くの先輩方が「戦争も核兵器もない世界を」「憲法9条を守れ」とたたかいぬいてきた、その被爆地ヒロシマのたたかいの歴史と誇りをあらためて胸に刻みました。

そして、私もその一員として、その代表として、戦後最悪の憲法破壊の企てを必ずうちやぶるために、全力でがんばる決意をしました。
本当に参加させていただけてよかったです。